エンビロン生みの親「デズモンド・フェルナンデス」が語る開発秘話

形成外科医/エンビロン・スキンケアシステム開発者

1942年南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生まれ。
ウィッツウォーターズランド大学医学部(南アフリカ)卒。
エジンバラ大学(留学)。
ロイヤル・カレッジ・オブ・サージョン・オブ・エジンバラ会員。
当初心臓外科医として、ケープタウン大学付属病院でクリス・バーナード博士による世界初の心臓移植手術に参加。 その後、形成外科医に転身。
現在、ケープタウンで美容形成外科クリニックを経営するとともに、多くの国際医学会で研究成果を発表しています。
著書「デスモンド フェルナンデスのスキンケア・ハンドブック」
1996年、私は世界で最高のスキンケアを作ろうと決心しました。そのために、もしも原料として世界中のダイヤモンドか必要だとしても、そのときの私はそれを集めたでしょう。
1996年のある日、私のレクチャーを聞いたイタリアの著名な形成外科医「mario Gasperotti」が私にアプローチしてきました。それは「世界中で最も裕福な人々を治療している形成外科医たちとともに、特別なスキンケアラインを作らないか?」という依頼でした。しかも「売り上げの一部は、モナコのキャロライン王女が主催する児童基金に寄付される」というのです。
私は世界で最高の、最も効果のあるスキンケアを開発することを決心しました。
そのために、もしも原料として世界中のダイヤモンドが必要だとしても、そのときの私はそれを集めたでしょう。言い換えれば、世界中で最も効果的な製品を作るためなら、開発費を惜しまないということを約束したのです。
 
何よりも効果を優先する。
そのためには製品の有効期限が短くなることもいとわない。
それは販売を考えると悪夢としか言いようの無い欠点でした。
プロジェクトの経営管理は、あるヨーロッパのもっとも裕福な病院のオーナーの人で、私は彼を訪ねました。そしてC-クエンスの初期のバージョンを彼にプレゼンテーションしたのです。しかし彼は「クリームでなければならない、そして現在のような縦型のボトルではなくジャーに入れるようにと要求しました。さらに仕入原価を5フラン安くし、2本ではなく1本でなければならない」と主張し、そのバージョンを拒否したのです。議論は続きました。しかし、私は2回目の訪問の途中で席を立ちました。彼は効果的な製品には興味が無かったのです。
 
その後、彼の知人で、あるイタリアの有名なニュースキャスターから、サイド交渉すべきだと助言がきたりもしました。しかし私は二度と交渉の席には着かなかったのです。そのときすでに、この非常に特別な製品を私達自身が発売することをしていたからです。そのとき考えうる、最も効果的製品をどうしても作りたかったのです。ゆえに、私たちは何よりも効果を優先しました。ビタミン、その他すべての成分が最も効果的に働くことを一番に考え、製品の有効期限が短くなることもいとわなかったのです。それは販売を考えると悪夢としかいいようが無い欠点でした。
 
しかし、私は「有効期限が短い」というネガティブなところを長所にしようとみんなに言いました。
我々はそれを実行し、そして成功しました。なぜなら、その製品があっという間に肌に変化をもたらしたからです。有効期限が短いことは逆に新鮮さを約束することになりました。そして人々はその製品を一度か二度使った後、私にお祝いを言うために電話をくれ、それを“金の液体”と呼びました。
 
我々は今回の「C-クエンス」を2004年に発売しようとしました。しかし、その最終段階になって、われわれが使いたい成分のコンビネーションが使えず、変更を余儀なくされましたが、私はそのことに非常に感謝しています。
今回の新しい「C-クエンス」に特別なストーリーはありません。ただあるのは、よりよい成分を見つけるための検索とリーディングというきつい仕事をこなしてきたということです。そして、それらを二年にもわたって試験してきました。我々はさらにこの“金の液体”を効果的にするために、成分を変えたのです。
我々は今回のシークエンスを2004年に発売するつもりでした。しかし、その最終段階になって、使いたい成分のコンビネーションが使えず(誰かが特許を持っていることが分かったのです)、そのため我々は変更を余儀なくされましたが、私はこのことに非常に感謝しています。なぜなら我々はその成分を排除することで、もっと良い製品を作ることが出来たからです。
 
「C-クエンス」こそが、まさに私と我々エンビロンがどうしても発売したかった製品なのです。